富士見坂眺望研究会

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−明治神宮外苑聖徳記念絵画館前からの富士−

2015年の夏に旧国立競技場が取り壊されたことにより、富士山が姿を現しました。 作図による調査では、絵画館前の広場状の道の中心線が、正確に山頂の中央に向かって伸びており、 これが偶然とは考えにくく、計画的な意図を推定せざるを得ません。 神宮外苑の絵画館と銀杏並木による軸線の方向が、どのように決定されたのか、これまで厳密には考察されて来ませんでした。 しかし目下のところ、 神宮外苑は、この富士山への眺望ラインに基づいた都市計画(造園、建築、都市設計)により、 絵画館や銀杏並木等が配置された可能性が極めて高いと考えられます。  旧競技場は惜しまれつつも壊されてしまいましたが、予想外の結果として外苑は、 かつて富士が見えていた本来の姿を取り戻しています。 更に遡れば、江戸期以来、広重や北斎の絵にも描かれ、富士塚も築かれた、青山一帯で親しまれてきた、富士のある風景です。 外苑という比類のない環境の中で、都心で唯一山頂と両翼が望める姿を、再び覆い隠すようなことは避けなければなりません。  絵画館からの富士山を「期間限定」としないよう、新国立競技場計画は、富士山との共存を図って修正される必要があります。

◆2017年10月26日現在、新国立競技場の建設は急速に進んでいて、既に富士山が隠れる高さになっています。 外苑絵画館前に富士山が出現して以来、ダイヤモンド富士は2016年の2月と11月、2017年の2月と、これまで3回ありましたが、 すべて見ることが出来ました。しかし、絵画館前から、もうダイヤモンド富士を見ることはできません。 新国立競技場が完成した後、何十年か経って、いずれは老朽化により取り壊されるまで、 路上からの富士山とはしばらくお別れです。次の建設の際はここからの富士山が恒久的に甦るように記憶を繋ぎ、 かつ制度的にも整えていくことが欠かせません。写真は富士見坂眺望研究会撮影 (2017年10月26日掲載)
これまでのダイヤモンド富士の様子はこちらへ

2016年1月10日撮影 2017年10月26日撮影
2017年10月26日撮影
2枚は2016年2月4日のダイヤモンド富士に集まった人々

◆2017年秋の神宮外苑絵画館前からのダイヤモンド富士は11月4,5,6,7日の4日間です。 以下のシミュレーション画像をご覧ください。 新国立競技場の建設状況次第では、山頂付近は見える可能性が残されています。 建設の現況を示す2017年10月4日撮影の右側写真には、天候が悪く富士山は写っていません。 富士山の位置は2016年1月10日撮影の左側写真をご覧ください。 (写真は2枚とも富士見坂眺望研究会撮影)(2017年10月5日掲載)
過去のダイヤモンド富士の様子はこちらをご覧ください。

 
2017年11月4日16時28分 16時29分 16時30分 16時31分
2017年11月5日16時28分 16時29分 16時30分 16時31分
2017年11月6日16時27分 16時28分 16時29分 16時30分
2017年11月7日16時26分 16時27分 16時28分 16時29分
神宮外苑絵画館前の位置:緯度35度40分40秒,経度139度43分5秒(WGS84),標高31m地上高2mで計算
国土地理院数値地図50mメッシュ(標高)データを使用
富士見坂眺望研究会が景観描画ソフト「カシミール3D」により作画。

◆2017年6月29日、日本イコモス国内委員会および第13小委員会は「神宮外苑ホテル計画に関する提言」を発表しました。 これは、明治神宮と三井不動産に対して、高さを抑えた計画にするように求め、 また東京都と新宿区に対して現行の眺望に関する規制が実効性を高めるよう制度的変更を求めるものです。 (2017年7月9日掲載)

◆昨秋(2016.11)、明治神宮と三井不動産によるホテル計画が明らかになりました。 計画地は新国立競技場の北側、JR総武線・中央線沿いの旧神宮プール跡地(約8,470 u)であり、 完成すると絵画館前の噴水から眺めて、絵画館のドームよりも高く大きく左側に見えてくるため、影響が深刻です。 風致地区指定の第1号である神宮外苑において、絵画館から至近にこのようなホテルが計画されるなどどは、 本来想定されていないことであり、困惑と危惧の念が広がっています。(2017年7月2日掲載)

神宮外苑ホテル計画シミュレーション図
神宮外苑ホテル計画イメージパース
出典 『(仮称)神宮外苑ホテル計画』 第61回 新宿区景観まちづくり審議会 報告1 資料 2016.11.8

◆ 2016年7月11日に出された外苑前からの富士山眺望についてのイコモス声明に関して、 7月21日開催の第60回新宿区景観まちづくり審議会において、声明に対応するようにとの発言がなされています。 詳しくは公開された審議会議事録54〜55ページをご覧ください。

◆2016年7月11日、日本イコモス国内委員会および第13小委員会は「外苑絵画館前からの富士山眺望の保全に関する声明」を発表しました。

これは、現在計画中の新国立競技場に対して、絵画館前からの富士山眺望の文化的な価値に基づき、2011年パリのイコモス総会で、 富士山への眺望を文化遺産と認めた議決17GA2011/21の精神に則って、 富士山の眺望保全の必要を呼びかけると共に広く社会に対してもこの必要性を呼びかけるものです。
詳細はイコモスの下記のアドレスをご覧ください。
日本イコモス委員会HP (日本イコモス委員会HP What's New 2016年7月11日  「外苑絵画館前からの富士山眺望の保全に関する声明」を発表)
日本イコモス第13小委員会  (日本イコモス第13小委員会:「外苑絵画館前からの富士山眺望の保全に関する声明」)
※2011年パリにおけるイコモス総会の、富士山への眺望を文化遺産と認めた議決17GA2011/21は、今回の声明文に添付されています。 (2016年7月12日掲載)

◆ 緊急報告!
新国立競技場ができると、現在の眺望(左:写真)は右:シミュレーション画像のようになります。

シミュレーション画像のため誤差が生じることがあります。 写真およびシミュレーション画像は、右クリックしてダウンロードすることができます。

◆ 富士山への山あてラインおよび眺望範囲ラインと新国立競技場A案の配置
2.45MBのファイル容量の所を右クリックすると、 拡大画像をダウンロードすることができます。 (2016年2月8日掲載)

2.45MB

◆現在、国立競技場の取り壊しによって、明治神宮外苑聖徳記念絵画館前の道から富士山がよく見えています。 絵画館前の通りをヴィスタライン(山あてライン)として山頂と両翼を望むことができ、 目下のところ都心部の山手線内では地上から全体を眺められる唯一の富士見眺望点といえるでしょう。 (撮影:富士見坂眺望研究会 2016年1月10日)

3.43MB 詳しくはこちらへ
 

◆江戸の町は、富士山が見える方角を中心に、現在の中央通りの 銀座〜日本橋〜神田にかけて、 山あて(眺望ライン)によって街路計画、景観計画が行われている。 道路の骨格はいまも変わっていない (図中、天守閣は明暦の大火(明暦3年 1657年 別名 振袖火事)で焼失し、その後再建されないまま今日に至っている)。

    ※出典 桐敷真次郎「天正・慶長・寛永期江戸市街地建設の景観設計」(東京都立大学都市環境整備研究報告24 昭和46年8月)
(広重 名所江戸百景 する賀てふ(駿河町))
広重の絵には上掲の桐敷氏の景観計画図で、赤丸(♂)の地点(現在の日本橋三越脇)から見た富士山が描かれている。   
   

埋もれていた「山あて」のライン 競技場近辺はゆるやかな谷地となっており、 新宿御苑を源流とする渋谷川(外苑西通り沿い:現在暗渠化、唱歌「春の小川」のモデル)の谷を挟んだ向こう側に、 鳩森八幡神社(千駄ヶ谷1丁目)があり、 境内には江戸市中の著名な富士塚「江戸八富士」のひとつ、 「千駄ヶ谷の富士塚」が現存します。 また、谷のこちら側にある龍厳禅寺(神宮2丁目)境内からの眺めは、 北斎により『冨嶽三十六景 青山円座松』として、 さらには外苑銀杏並木の入り口、青山通りは旧大山街道で、 そこからは初代広重により『不二三十六景 東都青山』 として富士が描かれています。 青山通りの先には富士見坂(現宮益坂)があります。 つまり一帯は地形的にも歴史的にも富士山がよく見えていた場所であり、 富士山を望む方角(ヴィスタ)を見てみると絵画館前の道路の中心線が、 きれいに山の中心に向かっていることから、 外苑や絵画館の配置計画の際に、道路の軸線を主要な山に当てる、 日本古来の技法”山あて”が行われたと考えられます。 奇跡的に出現したこの風景も、計画中の新国立競技場によって、失われてしまうことになるのでしょうか。

類例のない場所 旧国立競技場が解体された現在、改めて外苑銀杏並木を歩いてゆくと、良く知られた西欧流のヴィスタとアイストップの絵画館という名画のような構図が、そして絵画館前からは左手に 古来の「山あて」による清々しい富士の姿が望めます。絵画館前は、「ヴィスタ」と「山あて」の東西異なる二種類のラインが直角に交差している、 非常に稀なポイントだということが分かってきます(ビスタは先方で視界が収束するイメージ、山あては先方で山に向かって広がるイメージ。 さらに二つのラインの主従については、青山通りと銀杏並木は微妙に直角ではないことから、絵画館の東西方向の向きの配置が、 まずこの山あてラインによって決まり、そこから直角に銀杏並木の線が引かれ、青山通りに当てたのではないかと考えられ、 山あてラインの軸が先で銀杏並木の軸は後ではないかと推測されます。銀杏並木を貫く外苑全体の軸の向きは、まず富士山によって 導かれていた可能性が高く、山あてのラインは隠されていた基本軸ではないかと考えられます。) このように、絵画館前は二つのラインと、 銀杏並木〜聖徳記念絵画館〜富士山という取り合わせによって、 西欧と日本の都市計画・建築・造園・景観設計が見事に融合された空間が現出しており、これほどの場所は類例を見ません。
(参考:明治神宮聖徳記念絵画館は、平成23年(2011年)4月、「東京都景観計画」において、 銀杏並木から見た建築物を中心とした眺望が保全されるよう、景観誘導の対象となる。 また同年6月優れた技術とデザインによる我が国最初期の美術館建築として「国重要文化財」に指定。 )

富士山と競技場の共存を 紆余曲折の最中、忽然と甦ったこの光景は私たちに何を語りかけているのか。単なる一過性の偶然などではなく、何か永続的な必然を指し示していないか。 未だ新計画が固まり切っていない現段階を好機ととらえ、富士山と競技場の共存を図るべきではないか。 配置計画、建築計画、それだけで難しければ施設規模の縮小までをも視野に入れ、衆知を集めて調整すべきではないでしょうか。 この問題を乗り越えてこそはじめて、「環境の世紀」にふさわしい新時代を画す日本のオリンピックとして真に認識され、 世界の人々を誇らしく迎えることが出来るようになるはずです。関係者の、専門家の、市民の見識を示す時ではないでしょうか。 (2016年1月10日記載)

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