2000年6月5日
文京区長 煙山 力 様
日暮里富士見坂を守る会 |
会長/小川幸男(西日暮里5丁目町会長) |
副会長/金子 誠(西日暮里3丁目町会長) |
拝啓 煙山区長様には常日頃から文京区政にご尽力くださり、誠にありがとうございます。
またこの度は、ただひとつとなった日暮里富士見坂からの富士山の眺望保全の活動に、ご理解をいただき、御礼申し上げます。
都心にある16の富士見坂のうち、その名の通り富士山の全貌が美しく望めた日暮里富士見坂からの眺望が、この4月、本駒込に建設中のワンルームマンションにより富士山の左側稜線が遮られました。
私達もここまで、マンションの建築事業者である日本鋼管不動産(株)、親会社である日本鋼管(株)に、都内に最後に残った富士見坂の眺望の大切さを次代に伝える方策を話合おうと努めてまいりました。しかしその思いはかなえられず、誠に悲しむべきことになりました。
今回、眺望を阻害する事態を避けられなかった最大の要因は、事業者にこの問題をお伝えするのが工事着工後になってしまったということです。日本鋼管不動産(株)側も、事前の説明があれば建築計画の変更も考えられた、ということでした。
また、日暮里富士見坂の所在と、マンションの建築場所が区を異にしていることが、保全をさらに困難にしました。私達は日暮里富士見坂のある荒川区、および東京都に対し、今後の法整備についての要望も行ってまいりました。「法制度の整備の必要性は十分に認識。今後国、東京都、関係区と連携を図りながら取り組むことが必要」(荒川区)、「現在の法制度では困難。今後、広範な議論が深まり、世論の趨勢がそのような方向に転換すれば制度の改正も可能と考える」(東京都)というお答えをいただいております。
日本の景観保全行政は、年毎に進展を見せてまいりました。景観条例が各地で作られるようになり、文京区もこの7月に景観条例が全面施行される事は心強いかぎりです。かつて江戸に暮らした人々と同じ眺めを継承していこうとする「風景遺産」という考え方が、広く周知されることを願っております。その際には、文化行政の先進区としての文京区の果たす役割は大きいと思われます。
こうした事態が二度と起こらないよう、歴史的風景遺産を保全するための法制度を整備し、行政処置を講じていただきたいと願っております。
そこで、下記について質問いたします。
6月15日までにご回答をいただきたくお願い申しあげます。
問い合わせ/ | 5814−1916 | (TEL + FAX) |
私共『日暮里富士見坂を守る会』は、文京区、荒川区、台東区の富士見坂周辺の住民や、研究者等を中心に、日暮里富士見坂の眺望を次代に伝えることを願って結成されました。
富士山は古来より、その美しい姿と共に、日本の象徴として特別な意味を持ってきました。秀吉より関東への転封を命じられた家康が、江戸を選んだ理由の1つが、「富士山が見える」ことでした。江戸の町は、富士山が見えることを重視して整備されました。坂や台地など、江戸市中には富士山の眺望点が数多く点在しています。北斎や広重などの浮世絵にも、富士山を望む江戸の風景が様々に描かれています。富士山に行けない町人たちは富士塚をつくり信仰してきました。つまり、富士山の眺望は、日本人の精神、江戸・東京の歴史的文化を伝える貴重な「歴史的風景遺産」といえます。
都心部には現在、16の富士見坂と、18の富士塚があります。文京区内には、富士見坂が4ヵ所、富士塚が3ヵ所あり、両方が多くある所は文京区の他にありません。
しかしながら、今もなお、地上から富士山が望めるのは、文京区護国寺の富士見坂(左側稜線の一部のみ)と、荒川区西日暮里の富士見坂の2つだけとなってしまいました。しかも、富士山の左右の稜線がきれいに望める正真正銘の富士見坂は、日暮里富士見坂だけです。このかけがえのない日暮里富士見坂の眺望の保全を支えているのは、文京区なのです。日暮里富士見坂の眺望を保全することは、文京区内にある、護国寺の富士見坂や、富士塚を保全することにもつながります。
東京都も、荒川区も、「富士山の眺望」を重要なものと位置づけています。文京区景観条例でも、第1条に「貴重な風景資源である『坂』と『緑』と『史跡』を生かした個性豊かな魅力ある景観づくりを推進すること」とあります。ところが、今日に至るまで、それを保全するための有効な施策は講じられてきませんでした。
さらに、日本鋼管不動産(株)にこの問題についてお伝えしたのが工事着工後であったことが、事態の解決を難しくしました。荒川区・文京区・台東区の職員と共に富士見坂眺望研究会を立ち上げ、富士見坂の眺望ラインや眺望を保全しうる高さの限度について伝えてあったのですが、敷地がわずか242uだったことから、事前チェックの網から漏れ、日本鋼管不動産(株)に事前に事態を伝えることができぬまま、建築確認申請が降ろされてしまったのです。
工事着工後に計画変更することが困難なこと、階数を下げるとなればそれ相当の損失は免れないことなどは重々承知しております。
しかし、だからといって、都内にただ一つ残った、かけがえのない歴史的風景遺産が損なわれるのを「仕方がない」と黙って見過ごすことはできません。もしこのまま事態を放置すれば、これ以降、富士見坂の眺望破壊に歯止めがきかなくなるばかりか、これほどの歴史的風景遺産の損失をくい止めることができなければ、あらゆる風景破壊への歯止めを失うことにもなりかねません。
またそれは、NKKグループが、それとは知らぬまま、貴重な風景を破壊することになり、環境保全を企業の柱に掲げる日本鋼管(株)にとってもゆゆしき事態になると思われました。
そこで私共は、工事着工後という非常に心苦しい状況ではありましたが、日本鋼管不動産(株)にこの問題を伝え、富士見坂の眺望を守って欲しい旨をお願いしました。
日本鋼管不動産(株)にとって「晴天の霹靂」とも言える事態であったことは、私共にも痛いほど理解できますので、そのお立場に配慮し、「お願い」の姿勢を貫いてきました。そして、共に事態を打開する最善の道を見出したいと努力して参りました。
私たちが望んだのは対立ではなく協働です。非常に困難な事態だからこそ、共に手を取り合い、地域にとっても、日本鋼管不動産(株)およびNKKグループにとってもよい形で、景観保全に寄与することのできる方策を作り上げていきたいと願っているのです。
また、行政などへの働きかけも並行して行っております。
そのような中、『文京区景観条例』の第1条に、「区民等及び事業者が協働の下に・・・」とあるのは、大きな励みとなりました。
これまでは、地域の歴史・文化・環境・社会には一切配慮せず、むしろそれを破壊するような開発行為が横行してきました。しかし、もはやそのような時代ではないと思います。
ましてマンションというのは、その地域で生活する人の住まいを作ることであり、その地域に住まう人を呼び込むことでもあります。その地域に何らかの悪影響を及ぼし、地域に受け入れられないような建物を造ることは、ユーザーにとっても好ましいことではありません。むしろユーザーの利益に反する行為とも言えます。
市民、行政、企業が手を取り合い、地域に刻まれた歴史や文化を生かし、地域の環境・社会に貢献し、しかもそれが企業利益にもつながるような新たな構造に改革することが、今、望まれているのではないでしょうか?
私たちの地域には、すでにそうした経験があります。
※住民には、複数の行政区域にまたがるエリアが1つの地域と捉えられていることがあります。西日暮里、谷中、さらに千駄木、本駒込一帯は、住民の間では1つの地域として認識されています。ところが、行政区画が分かれているために、問題が複雑化しています。
日暮里富士見坂と同じ地域である台東区谷中では、住民と(株)大京とが、台東区のバックアップの下、協働して、町の歴史や文化、景観を生かした、これまでにないマンションをつくり上げました。この一件は、テレビなどでも特集され、全国の注目を集めました。当初計画を変更し、9階を6階に下げ(道路側は4階)、49戸を42戸に減らしましたが、(株)大京は目先の利潤を上回る有形無形の多大なメリットを得ています。谷中にとっても、この一件がきっかけとなり、町づくり憲章がつくられ、建築協定が結ばれる(現在認可申請中)など、住民自身による町づくりが進むようになりました。
私共は、NKKグループとも、こうした協働作業をと願ったのです。しかしながら日本鋼管不動産(株)は、「あなたたちはお願いする立場」、「お願いしますというから、わざわざ時間を割いて話を聞いている」といった対応をとり続け、協議する段階まで行きません。
私共がこの間、親会社である日本鋼管(株)の下垣内社長様への面会を申し入れてきたのも、(株)大京との協働の経験、日本鋼管不動産(株)の状況などから、◎この問題の解決には高度の政治的判断を要する、◎膠着した事態打開のためにはトップの英断が必要、◎親会社でなければ大局にたっての判断と英断が下せない、◎日本鋼管不動産(株)には総合的に判断して社会的責務を果たせない、と判断したからに他なりません。
日暮里富士見坂からの富士山の眺望は、荒川区のみならず、東京都さらには日本全体にとって、かけがえのない歴史的風景遺産です。この問題は、Japan
Times紙に2回も報道されるなど、外国人の注目も集めています。
この問題は、地域の環境や眺望に対する行政、企業、市民の社会的姿勢が問われる問題だと思います。
と同時に、行政、市民、企業が、全力で取り組むべき価値のあるものと思われます。
そこで、あらためて公開質問状をお出しした次第です。
なにとぞよろしくお願い申しあげます。